南極漂流者
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【北漢】楊業のことをつらつら。
 楊業といえば、北宋初期の将軍として有名で、「楊家将演義」などの講談があります。
 その楊業はもともとは、五代十国時代の河東政権、北漢に仕えていました。

 もとの名前は楊重貴といい、父は楊信といいます。
 父、楊信の代で、地元の麟州刺史とされたのが、後漢乾祐年間のこと。
 麟州は黄河の西にあって、本来、河東節度使の支郡とはならず、刺史あるいは団練使が置かれていました。
 楊信は太原の人、ということになっていますが、《資治通鑑》では麟州の土豪ということになっています。
 それが刺史として任じられていたわけですが、後周国が起って、それに対抗して北漢が建ったとき、その《資治通鑑》にしろ《十国春秋》にしろ、初期領有州の中に麟州は含まれているように書かれています。

 実は麟州刺史・楊信は、最初後周の任命を受けて、北漢の支配は受けていませんでした。
 後周の京師・開封からみると、北漢の裏側のような場所の麟州が、飛び地としてあるような感じ。
 しかしそれも、広順二年(952)十二月、楊信が死去して子の楊重訓が後を継ぐと、州ごと北漢に帰順してしまいます。
 北漢の所領に麟州が組み込まれるのは、これによってですね。
 しかしその楊重訓も、後周の顕徳四年(957)十月に、再び後周に帰順してしまいます。

 その楊重訓というのが、同じ輩字をもつので、楊重貴の兄じゃないかなと。
 ちなみに、《世宗実録》では楊崇訓となってます。北漢に帰順したときに、北漢世祖・劉崇の諱にあたって改めたということもあり、そうなると楊重貴も実は、楊崇貴だった? きりがないので、それはここまで。

 さて、ここで疑問に思ったのが、《宋史》楊業伝、あるいは《十国春秋》北漢 劉継業伝 にある「若くして劉崇に仕える」という部分。
 楊信が麟州刺史となった時期が不明なので、楊重貴がいつ劉崇に近侍したのかわかりません。
 しかし後漢時代にすでに河東節度使だった劉崇に仕えさせていたとすれば、後周国の任命を受けて劉崇と一線を画したのは、思い切った決断となるでしょう。

 楊業は生まれた年が不明だから、いつ劉崇に仕えたのかわからない。
 わかっているのは、劉崇の子の劉承鈞(睿宗)のよって「劉」姓と、「継業」の名を賜ったこと。この時期、建雄軍節度使とされ、「楊無敵」と称されるほどのいくさ上手だったこと、北宋に降って旧姓にもどして継の字を取り、「楊業」となった、こと。

 楊業が授けられた節鉞、建雄軍節度使とは、晋州に冠する軍額です。遥領でしょうね。
 楊業、というか劉継業の名で登場しているのは、少主の時、団柏谷を巡って、北宋の将・李継勲の先鋒、何継筠(かけいいん)に敗れたことと、英武帝の天会十三年、北宋の開宝二年(973)三月、北宋の陣営に夜襲したあたり。

 《続資治通鑑》では、もう少し名前が出ておりますが、「無敵」と称される働きってほどのものはなく、ちょっとがっかり。北宋に対しては結構、前面に出てきているみたいで、「もとより驍勇」といわれ、北漢の英武帝が降ったあとも、自分の持ち場を死守して北宋軍を寄せ付けなかった、というあたりが賞賛されたんでしょうかね。
 ちなみに、遥領で建雄軍節度使を領していますが、本軍では侍衛都虞候だったようです。
 楊業といえば代州、という印象ですがこれは北宋に降ってからの話。
 
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